特集 テリー・ファンクを完全整理 損しない伝説入門

テリー・ファンクは、NWA世界王者から全日本プロレス、ECW、FMWまでを股にかけ、ハードコアスタイルを現在のWWE・AEWにつなげた“生ける伝説”として語られてきました。本特集では、テリー・ファンクの経歴と代表試合、日本・アメリカ両方での功績、現役スターへの影響、訃報後の追悼の声までを時系列で整理し、配信サービスや関連書籍も含めて「今から追いつけるテリー・ファンク入門」としてわかりやすくまとめます。

テリー・ファンクとは誰か 経歴と基本プロフィール

テリー・ファンクは、1944年6月30日生まれのアメリカ出身プロレスラーで、本名はテリー・ファンク。テキサス州アマリロを拠点に活動したファンク一家の次男として育ち、父ドリー・ファンク・シニア、兄ドリー・ファンク・ジュニアとともに、アメリカ南部テリトリーの名門一族を形成しました。

デビューは1965年とされ、1975年にはNWA世界ヘビー級王座を獲得。NWA世界王者、全日本プロレスの“常連外国人エース”、ECW・FMWでのデスマッチレジェンドという三つの顔を持つ、非常に稀有なレスラーです。90年代後半にはWWF(現WWE)にも登場し、チェインソー・チャーリー名義で活動したことでも知られています。

2023年8月23日に79歳で死去。約50年以上のキャリアを通じて、テクニシャン、ブロウラー、デスマッチファイターとスタイルを変化させながら一線で闘い続けた、「時代を3度変えた男」とも評される存在です。海外プロレスファンが歴史を語る際、必ず名前が挙がるレジェンドの一人と言えます。

テキサスの荒馬と呼ばれた所以と素顔

“テキサスの荒馬”というニックネームには、テリー・ファンクのファイトスタイルと人柄の両方が凝縮されています。アマリロを拠点とするテキサスの牧場育ちで、ラフでタフな肉体派。その上で、どれだけ傷だらけでも前へ出続ける根性と、観客の感情を揺さぶる「暴れ馬」ぶりがリング上で際立っていました。

一方で、控室や移動中では若手にも気さくに接する温厚な紳士として知られ、試合後にはファンのサインや写真の要望に丁寧に応じたという証言が数多く残っています。マイクでは狂気じみた乱痴気プロモを連発しながら、実際には周囲への気配りが細かく、ビジネス面でも冷静な一面を持つレスラーでした。

つまり、“テキサスの荒馬”は単なる乱暴者ではなく、荒々しさとプロフェッショナルな優しさを併せ持つテリー・ファンクのキャラクターそのものを表した呼び名といえます。

ファンク一家と兄ドリーとの関係

ファンク一家のルーツと父ドリー・ファンク・シニア

テリー・ファンクは、テキサス州アマリロを拠点としたプロモーター兼レスラー、ドリー・ファンク・シニアの次男として生まれました。ファンク家は、父がテリトリーを仕切る“ボス”であり、長男ドリー・ファンク・ジュニア、次男テリーという生まれながらのレスラー一家でした。幼少期からリングと馬に囲まれた環境で育ち、フィジカルだけでなく、観客の感情を動かすプロモーター的な感覚も自然に身につけていきます。

兄ドリーとの関係と「ザ・ファンクス」の形成

兄ドリーはクラシカルなテクニシャン、弟テリーは荒々しいファイターという対照的な個性でしたが、ふたりは若い頃から互いのスタイルを補完することで、タッグチーム「ザ・ファンクス」を完成させました。冷静沈着なドリーと感情を爆発させるテリーのコントラストが、“兄弟だからこそ”の説得力を生み、世界屈指のタッグとして認知される要因となりました。日本でも全日本プロレスを中心に兄弟タッグで来日し、ファンにとって“ファンクス=家族の絆”というイメージを強く根付かせています。

ビジネスパートナーとしての結束

リング内だけでなく、兄弟は父の遺したアマリロ・テリトリーを運営するビジネスパートナーでもありました。ドリーが王者として団体の格を上げ、テリーがNWAや日本遠征で話題を集めることで、ファンク一家全体のブランド価値を高めていきます。テリー・ファンクのキャリアは、単独の天才レスラー物語というよりも、ファンク一家と兄ドリーの存在を抜きに語れない“ファミリービジネスの物語”と言えます。

デビューから引退宣言乱発まで 時系列で振り返る

テリー・ファンクのキャリアは、若手エリートから“引退宣言乱発オジサン”へと変貌していく長い物語です。デビューは1965年、父ドリー・ファンク・シニアが主宰したアマリロ・テリトリーで、本格的に頭角を現すのは1970年代前半のNWA参戦期でした。1975年にはNWA世界ヘビー級王座を獲得し、一躍メジャー団体を渡り歩く一流レスラーとして認知されます。

1980年代に入ると全日本プロレスでの人気が爆発し、日本とアメリカを行き来する“世界的スター”へ成長しますが、同時に過激なファイトスタイルも加速していきます。1990年代にはFMWやECWのデスマッチ路線に深く関わり、肉体的ダメージも蓄積しました。

こうした過酷なキャリアの中で、テリー・ファンクは1983年頃から幾度も引退宣言を行いながら、約40年にわたってリングに戻り続けたレスラーとしても知られます。日本の引退興行、アメリカでの“ラストマッチ”と銘打たれた試合を何度も行い、そのたびに復帰する姿が、ファンの間で伝説化していきました。

NWA世界王者時代とアマリロ時代

テリー・ファンクは1965年にプロレスデビューし、1970年代半ばには早くもNWA世界ヘビー級王座を戴冠します。1975年、ジャック・ブリスコを破って世界王者となり、フレアー以前のNWAを支えたフラッグシップの一人として各テリトリーを転戦しました。荒々しい brawler スタイルと高いテクニックを兼ね備えた“世界王者として信頼されるオールラウンダー”という評価を、この時期に確立しています。

同時に、テキサス州アマリロでは父ドリー・ファンク・シニアの跡を継ぎ、兄ドリー・ファンク・ジュニアとともにテリトリー運営にも深く関与しました。アマリロ地区では、NWA世界王者としてのブランドを武器にローカルスターを輩出しつつ、自身もヒールとベビーフェイスを行き来する多彩なファイトを展開。アマリロ時代は、後年の“どの団体にもフィットする職人的レスラー”という側面と、“団体を背負うプロモーター的視点”の両方を育てた重要な期間と言えます。

日本マット初登場と全日本での躍進

テリー・ファンクが日本マットに初登場したのは1970年代前半の国際プロレスとされますが、決定的なインパクトを残したのは1975年の全日本プロレス本格参戦からです。父ドリー・ファンク・シニアのアマリロ・テリトリーとジャイアント馬場の提携により、兄ドリーとともに“ザ・ファンクス”として日本全国のシリーズに帯同し、瞬く間に人気を獲得しました。

当時の全日本は馬場、ザ・デストロイヤー、アブドーラ・ザ・ブッチャーらがけん引していましたが、ファンク兄弟は若さと運動量、兄弟ならではの連携で既存の外国人像を刷新しました。特にテリーは、場外へのダイブや客席になだれ込むファイト、試合後もリングに残ってファンに手を振り続ける姿で支持を拡大し、ヒールとして登場しながらも“悪役なのに大歓声”という異例のベビーフェイス的人気を得ていきます。

UN王座やインターナショナル・タッグ王座戦線での活躍を通じて、テリー・ファンクは全日本のメインイベント常連となり、日本のプロレスファンにとって「外国人エース」の象徴的存在になっていきました。

ECW期から最後の来日までの軌跡

ECW期のテリー・ファンクは、全日本の常連外国人という枠を超え、「老いてなお最前線で流血・デスマッチを牽引するレジェンド」として再評価されました。ポール・ヘイマン体制のECWで、サブーやミック・フォーリー(カクタス・ジャック)と絡み、1997年のPPV『Barely Legal』ではメインでECW世界王座を戴冠。40代後半〜50代でありながらテーブルクラッシュや流血戦をいとわない姿は、ハードコア世代の象徴として語り継がれています。

ECW躍進と並行して日本マットにも戻り、FMWやIWAジャパン、後年はNOAHやインディー団体にも登場しました。「何度も引退宣言をしながら、要所で必ず帰ってくる」というパターンは90年代後半以降の“様式美”となり、観客はカムバックのたびに大歓声で迎えました。2000年代以降は参戦ペースを落としつつも、ハードコア路線だけでなく、ベテランとして若手の踏み台役も務め、最後の来日まで「テキサスの荒馬」の魂を見せ続けた点が、長年ファンに愛された理由と言えます。

全日本プロレスでの功績 日本のファンが愛した理由

全日本プロレスにおけるテリー・ファンクの功績は、単なる名勝負量産にとどまらず、日本のプロレス文化そのものを底上げした点にあります。兄ドリーとの「ザ・ファンクス」がもたらしたタッグスタイル、外国人=怪物ヒールというテンプレートを崩したベビーフェイス像、そして観客との一体感を生むファイトは、1970〜80年代の全日本を語るうえで欠かせません。

テリー・ファンクは、流血戦や場外乱闘の激しさと同時に、観客に向けたサービス精神の高さで支持を集めました。試合後のリング上での日本語の挨拶、入場時のハイタッチ、地方大会でも手を抜かないバンプなど、「日本のファンを最優先に考える外国人スター」として特別な存在になっていきます。

また、ジャイアント馬場への敬意ある姿勢や、日本人レスラーを輝かせる受けの巧さにより、全日本のストーリーラインに深く溶け込みました。長年の来日と何度も行われた引退・復帰劇も含めて、テリー・ファンクは「一時的に来る外人」ではなく、全日本プロレスの家族の一員として愛されたレジェンドと評価されています。

ザ・ファンクス黄金タッグと大会場の熱狂

全日本プロレスにおけるテリー・ファンクの象徴が、兄ドリー・ファンク・ジュニアとのタッグ「ザ・ファンクス」です。兄の緻密なテクニックと、弟テリーの荒々しく感情むき出しのファイトが噛み合うことで、日本のリングに「兄弟タッグ」という新たなドラマを持ち込みました。

とくに1970年代後半〜1980年代前半の夏のシリーズや世界最強タッグ決定リーグ戦では、入場時から観客が「テリー!」「ドリー!」と大合唱し、バルコニーから紙テープが雪崩のように投げ込まれる光景が定番となりました。観客は試合後に「ファンクス、帰らないで!」コールを繰り返し、レスラーとファンの距離が極端に近い、全日本ならではの熱狂を生み出しました。

ザ・ファンクスは単なる強いタッグではなく、「観客と一体で物語を作る存在」として、日本のタッグ戦の見方そのものを変えたと言えます。WWEやAEWのファンにとっては、人気ベビーフェイス兄弟タッグの原型の一つとして押さえておきたいユニットです。

ジャイアント馬場や鶴田らとの名勝負

ジャイアント馬場や鶴田らとの名勝負

全日本プロレスにおけるテリー・ファンクの価値を決定づけたのが、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田らメインどころとの対戦です。テリーは単なる“外国人の強豪”ではなく、日本側エースの魅力を最大限に引き出す職人兼主役として機能しました。

馬場との対決では、巨体相手に真正面からぶつかるファイトと、場外乱闘やイス攻撃を織り交ぜたドラマ性で、後楽園ホールから大箱まで観客を熱狂させました。鶴田とは、NWA王者経験者同士としてのテクニカルな攻防と、アメリカン・バンプを前面に出した激しい受けで名勝負を連発。鶴田のジャンボ・スープレックスを豪快に受け切る姿は、世代交代の物語を象徴するシーンとして語り継がれています。

他にも、馬場・鶴田組 vs ザ・ファンクスなど、シングルとタッグの両面でクラシックな名勝負が多く、現在も映像企画や特集でたびたび再評価されています。

引退興行とカムバック劇のインパクト

テリー・ファンクのキャリアを語るうえで外せないのが、「何度も行われた引退」と「そこからのカムバック」です。テリー・ファンクの引退宣言はビジネス上のギミックではなく、その時点の肉体的限界と情熱の揺れをさらけ出した“リアルなドラマ”として受け止められてきました。

代表的なのが、1983年の全日本プロレスで行われた「引退試合」と、その後のサプライズ復帰です。日本のファンは本気で別れを覚悟したため、復帰が決まった際の歓迎ムードは、他レスラーのカムバックとは一線を画する熱狂になりました。以降も「もう限界だ」と語りながらリングに戻り続ける姿は、

  • 老いてもなお危険なバンプをいとわないプロ根性
  • ファンへのサービス精神
  • “プロレスをやめられない男”というキャラクターの説得力

を強烈に浮かび上がらせました。結果として、引退とカムバックの繰り返しそのものがテリー・ファンクの物語になり、WWEやECWでの“レジェンド扱い”にもつながる重要な要素になりました。

アメリカマットでの評価 WWEとECWでの活躍

アメリカマットにおけるテリー・ファンクの評価は、単なる“流血と乱闘のレジェンド”にとどまりません。NWA世界王者としての正統派テクニシャン、WWF〜WWEでの個性的なベテラン、ECWでのハードコア象徴という三つの顔を持った存在として高く位置づけられています。

WWEでは「チェインソー・チャーリー」としてミック・フォーリーと抗争・共闘を展開し、アティチュード時代のハードコア路線を後押ししました。一方ECWでは、トミー・ドリーマーやサンドマンらとともに団体の屋台骨として稼働し、PPV第1弾『Barely Legal 1997』での戴冠劇など、ECWの“本物感”を支えたリビング・レジェンドとして尊敬を集めました。

その結果、アメリカのファンやレスラーからは「世代をまたいでスタイルを変化させ続けた究極のプロフェッショナル」として語られ、WWE殿堂入りや各種アワードでも長年にわたり高評価を受けています。

NWA王者としてのテクニシャン時代

NWA世界王者としてのテリー・ファンクは、血みどろのラフファイトの裏側に、緻密なテクニックと心理戦を持つ“クラシカルな世界王者”でした。1975年にジャック・ブリスコからベルトを奪取した時期は、NWAのフラッグシップとして各テリトリーを転戦しながら、60分フルタイムドローを戦い抜くスタミナと試合作りの巧さを証明した時代とされています。

レスリングの基礎はアマリロ地区で培ったアマチュア仕込みで、徹底したグラウンドコントロールとボディスラムやネックブリーカーなどのオーソドックスな技を軸に、スピニング・トーホールドでドラマを作るスタイルが特徴でした。相手の得意技を引き出したうえで、最後に観客の感情を最高潮に持っていく“試合の設計図”が巧みで、ハーリー・レイス、ダスティ・ローデス、リック・フレアーらとのタイトルマッチは、後のハードコア路線とは別物のテクニカルクラシックとして高く評価されています。

現在のWWEやAEWで見られる「世界王者=各地を回ってロングマッチをこなす総合力型チャンピオン像」にも、NWA王者時代のテリー・ファンクの戦い方や試合運びが色濃く影響しているといえます。

WWF〜WWEでの登場とカクタス・ジャック戦

WWF(現WWE)でテリー・ファンクが本格的に注目を集めたのは、カクタス・ジャック(ミック・フォーリー)とのコンビと抗争です。80年代後半〜90年代前半はテクニシャン寄りの職人ヒールとして起用されることが多かったものの、WrestleMania 2でのJYD戦や、ブッチャーとのタッグなどを通じて“アマリロの名門”として存在感を残しました。

インパクトが一気に高まるのが、90年代後半の「チェインソー・チャーリー」名義での復活です。股引姿でチェーンソーを持って登場し、フォーリーとの奇妙なタッグを形成しながら、同時に激しいハードコア戦を展開。1998年のRAWやPPVでのニュージャックスタイルの乱闘やケージ戦は、のちのWWEハードコア路線の土台となりました。

特にカクタス・ジャックとの対戦と共闘は、世代を超えたデスマッチ/ハードコアの系譜を可視化した点で重要です。NWA王者時代のテクニックを下敷きにしつつ、テーブルクラッシュや有刺鉄線テイストの流血戦までこなすスタイルは、WWEファンに「テリー・ファンク=伝説的ハードコアアイコン」というイメージを決定づけました。

ECWで確立したデスマッチレジェンド像

ECW期のテリー・ファンクは、NWA世界王者時代のテクニシャン像に、FMWや日本デスマッチで培った「命知らずのバンプ」を融合させ、“デスマッチをメインストリームに押し上げたレジェンド”という評価を決定づけました。ベテランとして若手に勝たせつつ、自身は流血、ラダー、バービーワイヤーまで全てを受け切る姿が、団体そのものの「犠牲と情熱」の象徴になりました。

とくに1997年「ECW Barely Legal」での三つ巴戦〜レイブン戦での戴冠、バービーワイヤー・マッチでのサブゥー&サンドマンとの死闘は、高齢でもメインイベントを成立させる“狂気の語り部”としての価値を世界に示した試合として語り継がれています。カクタス・ジャック(ミック・フォーリー)とのハードコア路線も、ECWで再びクローズアップされ、のちのWWEハードコア部門やインディーのデスマッチ文化の基準点になりました。

FMWなど日本インディーでのデスマッチ革命

ECWでハードコアスタイルを極めたテリー・ファンクは、90年代前半からFMWやW★ING、IWAなど日本インディー団体に参戦し、「アメリカの大物が命を張るデスマッチ」というリアリティを日本マットにもたらしました。特に大仁田厚が率いるFMWではテリーの参戦が団体のブランド価値を一気に押し上げ、電流爆破やノーロープ有刺鉄線といった過激ルールに“プロレスの文脈”を与えた存在として機能しました。

同時期のテリーは、単なる流血要員ではなく、観客の感情を最大限に揺さぶるストーリーテラーとしても突出していました。流血、テーブルクラッシュ、場外乱闘を多用しながらも、試合の山場をしっかり作り、観客に「危険だけではない面白さ」を示した点が、のちのFMW以降のデスマッチ系インディー団体の手本となりました。日本のデスマッチ文化が“スタイル”として定着した背景には、テリー・ファンクの存在が欠かせなかったと評価されています。

大仁田厚との抗争と有刺鉄線電流爆破マッチ

大仁田厚との対決は、FMWおよび日本のデスマッチ史を語るうえで欠かせない軸となります。テリー・ファンクが「伝説のテクニシャン」から「血と火花のハードコアアイコン」へ完全にシフトしたのが、FMWでの大仁田との抗争でした。

発端は、かつて全日本で“正統派外国人エース”として崇められたテリー・ファンクを、大仁田があえてFMWの過激デスマッチ戦線に呼び込んだことにあります。テリー・ファンクは引退宣言とカムバックを繰り返しながらも、復帰のたびによりハードなスタイルを受け入れ、有刺鉄線ボード、バリケードマット、そして電流爆破へと段階的に適応していきました。

象徴的なのが、FMWの有刺鉄線電流爆破マッチです。有刺鉄線ロープに触れれば爆音と火花が飛び散る過酷なルールにもかかわらず、テリー・ファンクは自ら大きなバンプを受け、全身血だらけになりながら日本のファンの前でファイティングスピリットを見せ続けました。大仁田との抗争は、単なる日米スターの対決ではなく、ベテランが命を削って新世代・新団体を「本物」にするための承認行為だったと言えます。

90年代デスマッチブームへの影響

1990年代のデスマッチブームは、大仁田厚だけではなくテリー・ファンクの存在によって世界規模のムーブメントに拡大しました。FMWでの有刺鉄線電流爆破マッチ参戦により、アメリカの大物レジェンドが命懸けのデスマッチを行うという衝撃が国内外に広がりました。

さらに、FMW参戦と並行して行われたIWAジャパン、W★ING勢との交錯や、のちのECWでのハードコア路線への橋渡しによって、「日本式デスマッチ=テリー・ファンクが認めたスタイル」というブランドが形成されました。CZWやBJWなど後発団体が有刺鉄線・ガラス・蛍光灯とギミックをエスカレートさせていった背景にも、ファンクが証明した「伝説級レスラーがデスマッチをやってもいい」という価値観の転換があります。

結果として、テリー・ファンクは単なる“客演の外国人”ではなく、90年代デスマッチをメインストリームに押し上げた象徴的存在として、今も日米のハードコア系レスラーに語り継がれています。

テリー・ファンクのファイトスタイルと魅力

テリー・ファンクの魅力は、テクニックと荒々しさ、そして狂気じみた受け身を一つのスタイルにまとめ上げた点にあります。NWA世界王者として培ったグラウンドの巧さと関節技の正確さをベースにしつつ、場外戦や凶器攻撃、流血戦まで何でもこなす「万能型バイオレンスファイター」として進化しました。

試合運びは常に観客目線で、序盤はクラシックなレスリングでじっくり組み立て、徐々にエスカレートさせながら最後は大きなバンプでクライマックスを作るのが定番パターンでした。日本ではファイト中にリング外のファンへ絡みつつも細心の注意を払う“優しさ”も知られ、リング上では狂気、リングを降りれば紳士というギャップも人気の要因です。

また、年齢を重ねても危険な技を受け続ける姿勢や、声を張り上げて観客をあおる分かりやすい感情表現は、現在のハードコア/デスマッチレスラーの原型とも言えます。テリー・ファンクの試合を観ることで、クラシックなプロレスとモダンなエクストリームスタイルをつなぐ“橋渡し”が体感できます。

スピニング・トーホールドと必殺技の数々

テリー・ファンクの代名詞といえば、まずスピニング・トーホールドです。レッグロックを極めた状態で足を軸にくるくる回転し、じわじわダメージを与える関節技で、観客がリズムに合わせて大合唱する“参加型フィニッシャー”でもありました。日本マットでは入場テーマとセットで、テリー・ファンク象徴のシーンとして記憶されています。

一方で、スピニング・トーホールドだけが武器ではありません。大振りのパンチから放つラリアット、場外まで飛び込むエルボー、イス攻撃や場外投げを織り交ぜたラフファイトも重要な武器でした。さらに、ムーンサルトプレスなどの飛び技をベテラン期まで使い続けた点も特徴です。テクニシャンとしての関節技と、荒々しいストライカーとしての攻撃の両方を使い分けるスタイルが、世代や国境を超えて支持される要因となりました。

狂気とユーモアを両立させたヒールワーク

テリー・ファンクのヒールワークは、流血と場外乱闘だけに頼ったものではありません。狂気じみた暴走キャラの中に、計算された「間」とコミカルさを織り込むスタイルが特徴でした。リング上で突然イスを投げて座り込み、観客に向かってわめき散らしたかと思えば、ロープに足を取られてすっ転ぶ「ズッコケ」も平然と見せるなど、笑いと恐怖を同時に呼び込む演出が多く見られます。

さらに、ブッチャーやシークとの流血戦では、本気で相手を殺しに行くような表情を見せつつ、レフェリーに逆ギレして追いかけ回したり、観客のヤジにわざと反応して大げさに怒ったりする動きで、会場の熱をコントロールしました。「危ないのにどこか憎めない」二面性が、ベビーフェイス転向後の大声援につながったと評価され、現代のハードコア系レスラーの多くが、この狂気とユーモアのバランスをヒールワークの教科書として挙げています。

年齢を超えたバンプとファンへの献身

テリー・ファンクを語るうえで外せないのが、年齢を感じさせないバンプの激しさと、客席にまで伝わる「ファンのために命を張る」という姿勢です。40代以降も場外へのダイブ、テーブルへの投げ捨てられ系の受け身、ラダーからの転落など、若手顔負けの危険なムーブを続け、ECWやFMWでは流血・火薬・有刺鉄線まで受け切りました。

単なる無茶ではなく、「自分がやらなければ若いレスラーが代わりに身体を壊す」という考えから、あえて先頭に立ってバンプを受けていたとも語られています。試合後の客出しでの握手やサイン、何度も繰り返された“引退興行”での全力ファイトなども含め、テリー・ファンクは最後の一瞬まで観客をがっかりさせないプロフェッショナルとして記憶されています。

日本人レスラーとの名勝負と名タッグを整理

テリー・ファンクを語るうえで、日本人レスラーとの名勝負・名タッグは欠かせない要素です。全日本プロレスを軸に、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークらとの対戦は、いずれも日本マット史に刻まれたカードとして語り継がれています。

一方で、兄ドリー・ファンク・ジュニアとの「ザ・ファンクス」としての活動では、馬場&鶴田組、天龍&阿修羅・原組、さらにはハンセン&ブロディ組などを相手に、ベビーフェイスとして日本の大観衆を熱狂させました。シングルではヒールとして日本人を追い込み、タッグでは日本人と共闘して感動のドラマを作る二面性が、ファンの心を強くつかんだポイントと言えます。

続く見出しでは、鶴田・天龍・ブッチャーらとの代表的な名勝負を時系列とともに整理し、どの試合から見ればテリー・ファンクの魅力を最も理解しやすいかを解説します。

鶴田・天龍・ブッチャーらとの名勝負列伝

ジャンボ鶴田、天龍源一郎、アブドーラ・ザ・ブッチャーとの攻防は、日本マットにおけるテリー・ファンク伝説の“芯”と言えます。特に鶴田との抗争は、ベビーフェース同士から始まりながらも、テリーの情熱と受けの巧さが鶴田のスター性を一段押し上げたと評価されています。全日本のビッグマッチで見られた馬場&鶴田 vs ザ・ファンクスのタッグ戦は、団体の黄金期を象徴する名勝負群です。

一方で天龍源一郎との対戦は、より荒々しく感情むき出しのファイトが特徴でした。天龍のラフ殺法とテリーの狂気じみたファイティングスピリットが噛み合い、後年の天龍革命へとつながる“闘いのリアリティ”を印象づけました。

アブドーラ・ザ・ブッチャーとの流血戦は、テリーの“受けの芸術”が存分に発揮されたカードです。凶器攻撃を全身で受け、血まみれになりながらも立ち向かう姿が観客の感情を大きく揺さぶり、日本の観客にとっての「テリー=心を捧げるファイター」というイメージを決定づけました。これら3者との名勝負列伝こそが、テリー・ファンクを日本で唯一無二の存在に押し上げた要因と言えます。

ハンセンやシークら外国人勢との死闘

スタン・ハンセン、シーク(ザ・シーク/ザ・シーク・ザ・ファンクスの仇敵)らとの対戦は、テリー・ファンクの「狂気と闘魂」を最も過激な形で引き出した名場面として語り継がれています。全日本プロレスのジャイアントシリーズや世界オープンタッグ選手権では、ファンクス vs ハンセン&ブロディといった外国人同士の激突が、流血と場外乱闘だらけの“戦争”としてファンの記憶に残りました。

ザ・シーク、アブドーラ・ザ・ブッチャーら流血王との抗争では、テリー・ファンクは正統派レスリングだけでなく、ラフファイトや凶器攻撃にも真正面から付き合い、後年のハードコアスタイルにつながる原型を見せています。「外国人ヒール同士が本気で殴り合う」構図を成立させたことこそ、テリー・ファンクの大きな功績であり、日本人レスラーとの名勝負と並ぶ、国籍を超えた死闘群として再評価されています。

後年のミサワ・川田・小橋世代との交錯

三沢光晴、川田利明、小橋建太ら“超世代軍~四天王プロレス”世代とテリー・ファンクが直接交錯する機会は多くありませんでしたが、90年代全日本プロレスのツアー帯同や特別参戦での絡みは、彼らの価値観を決定づける重要な接点となりました。

四天王世代は少年時代からファンクスに熱狂した“直系のファン”でもあり、スピニング・トーホールドや場外ラフファイトの受け継ぎ方に、その影響が色濃く表れています。特に小橋は「テリーのように闘いたい」と語り、コーナーポストからの場外ダイブや受け身をいとわないバンプ精神にファンク直伝のメンタリティが見て取れます。

また、90年代以降の日本マットでテリーが見せた“老いてなおハードコア”な姿勢は、ベテランになっても前線で闘い続けた三沢・川田・小橋の在り方と重なる部分が多く、精神的なロールモデルとして機能しました。直接の名勝負は多くなくとも、スタイルと哲学のレベルで深く交錯していた世代と言えます。

テリー・ファンク伝説を作った代表試合10選

テリー・ファンクを語るうえで、時代や団体をまたいで“骨格”になっている代表試合が存在します。まず押さえたい軸は「全日本のザ・ファンクス」「FMW・ECWのデスマッチ」「WWEを含むアメリカメジャーでの闘い」の3つです。

代表例としては、全日本「世界最強タッグ決定リーグ戦」シリーズでの兄ドリー・ファンク・ジュニアとのタッグ戦(ハンセン&ブロディ戦など)、ジャンボ鶴田戦、天龍源一郎戦といった名勝負が挙げられます。デスマッチ面では、FMW大仁田厚との有刺鉄線電流爆破マッチ、ECWでのサンドマン&ミック・フォーリー(カクタス・ジャック)らとの死闘が“伝説”を決定づけました。

さらに、WWF時代のロイヤルランブル出場や、WWEのミック・フォーリーとのタッグ&抗争戦など、メジャー団体でのハードコアファイトも外せません。次の「日本マット編」と「アメリカマット編」では、映像でたどれる具体的な10試合をピックアップし、視聴手段も含めて整理していきます。

日本マット編 見ておきたい必見カード

日本マットでのテリー・ファンクを代表するカードを、時代とスタイルが分かるように厳選して紹介します。まず外せないのが1977年12月 全日本プロレス・オープン選手権優勝戦 テリー&ドリーvsジャイアント馬場&ジャンボ鶴田。超満員の後楽園ホールで起きた“テリーコール”は、日本での人気爆発の象徴的シーンです。

スピニング・トーホールドが唸った1976年12月 NWA世界ヘビー級選手権 テリー vs ジャイアント馬場も必見です。世界王者としてのテクニシャンぶりと、馬場との噛み合いを確認できます。

デスマッチレジェンド像を語るなら、1993年5月 FMW 川崎球場 テリー&大仁田厚 vs シーク&サブゥー 有刺鉄線金網デスマッチ。インディー期の狂気と日本ファンへのサービス精神が凝縮された試合です。

さらに四天王世代との交錯を観るなら1995年12月 全日本・世界タッグ選手権 テリー&ドリー vs 三沢光晴&小橋建太。老獪な兄弟タッグと全盛期の王道プロレスがぶつかる貴重な一戦として押さえておきたいカードです。

アメリカマット編 映像で追える名試合

テリー・ファンクのアメリカでの名勝負は、日本マット以上に「時代の変化」を映した試合が多く、映像で追う価値が非常に高いです。特に押さえたいのは、NWA世界王者としてのクラシックと、ECW以降のハードコア路線の両方です。

年代 団体・大会 対戦カードの例 見どころ
1970年代 NWA(ハウスショー、TV) テリー・ファンク vs ダスティ・ローデス ほか オールドスクールなヒールワークと関節技の巧さが分かるクラシック期
1989年 NWA/WCW「Clash of the Champions IX」など テリー・ファンク vs リック・フレアー NWA王者経験者同士のドラマ性と、ベテランになっても激しいバンプを受ける姿勢
1995年 ECW「Heat Wave」「Hardcore Heaven」期 テリー・ファンク & トミー・ドリーマー vs カクタス・ジャック ほか ECWの中心として、血まみれになりながらもストーリーテリングを主導
1997年 WWF「WrestleMania 14」 チェインソー・チャーリー & カクタス・ジャック vs ニューエイジ・アウトローズ WWE流ハードコアとファンク節のミックス、入場からキャラクター性が際立つ一戦
2000年代 インディー(IWA-MSなど) テリー・ファンク vs サブゥー ほか ローカル会場でも手を抜かない狂気のファイトと、若手への“見せ場の渡し方”が学べる試合群

クラシック期(NWA/WCW)でテクニシャンとしての基礎を、ECW・WWF期でハードコアレジェンド像を、インディー期で“生涯現役”の凄みを押さえると、アメリカマットのテリー像が一気に立体的になります。

次の「配信サービスで見られる試合の探し方」では、これらのカードを実際に探す際のコツを整理します。

配信サービスで見られる試合の探し方

テリー・ファンク関連の試合は、年代・団体ごとに配信元が分かれています。まずは「どの時代のテリーを観たいか」を決めてから、適切なサービスを選ぶと効率的です。

時代・団体 主な配信サービス例(日本から視聴しやすいもの)
全日本プロレス期(70〜80年代中心) 新日本プロレスワールド内の特集、DVDボックスを扱う通販サイト連動配信など
FMW・インディー日本デスマッチ サムライTV系アーカイブ、シマネプロレス・FMW関連DVDのデジタル版
NWA・テリトリー時代 WWE Network(日本版はABEMA/WWE関連番組)、一部は公式YouTube
ECW/WWF〜WWE期 WWE Network(PLE・クラシックコンテンツ)

配信サービス内では、英語検索が有利です。検索窓には「Terry Funk」「The Funks」「Funk vs Cactus Jack」「Funk vs Onita」のように、レスラー名+相手選手名で入力すると代表的な試合にすぐ辿り着けます。

YouTubeではWWE公式、AEW公式、FITE系公式チャンネルがアップしているハイライトや追悼動画が入り口として最適です。フルマッチを探す場合は、団体名+都市名+年(例:”ECW Philadelphia 1994 Terry Funk”)といった形での検索が有効です。

後進レスラーへの影響とリスペクトの声

テリー・ファンクは、単に歴史的名選手というだけでなく、「自分より下の世代を主役にすることをいとわなかったレジェンド」として、多くのレスラーから尊敬を集めています。ハードコア系だけでなく、WWE・AEWで活躍するテクニシャンやオールラウンダーからの評価も高い点が特徴です。

若手に対しては、試合の受け身や表現方法を細かく助言し、ときには自ら大きなバンプを受けてまで相手を引き立てました。「年齢を重ねても前線で受け続けた姿勢」は、ミック・フォーリー世代以降のベテラン像のモデルになったと語られることも多いです。

また、アメリカだけでなく日本のインディー団体にまで足を運び、ロッカールームで気さくにアドバイスをする存在として、デスマッチファイターからジュニアヘビー級まで幅広い層に影響を残しました。結果として、世界中のレスラーの追悼コメントでは「ヒーロー」「メンター」「ビジネスの真のプロ」といった言葉が繰り返し使われています。

ミック・フォーリーなどハードコア勢への影響

ミック・フォーリー、サブゥー、トミー・ドリーマーなどハードコア勢の多くが、ルーツとして挙げる名前がテリー・ファンクです。流血と大技だけではなく「痛みを伝える芝居」「観客と感情を共有する間合い」まで含めて、ハードコアというジャンルの設計図を示した存在と評価されています。

ミック・フォーリーは若手時代から全日本やWCWでテリー・ファンクを追いかけ、「相手を輝かせる売られ方」や「無茶なバンプをストーリーに意味づけする方法」を吸収しました。ECWでは、テリー・ファンクが高齢でありながらバーブドワイヤー戦やノーロープ戦に挑み、「年齢や立場に関係なく、リングに上がる以上は身体を張る」という姿勢を示したことで、ハードコア勢全体の基準を一段引き上げたといえます。

一方でテリー・ファンクは、若いレスラーに対して「ただ危険な技を増やすのではなく、観客に伝わるドラマを作れ」と助言しており、ハードコア=危険行為ではなく、感情を極限まで引き出すための表現手段という考え方を広めました。今日のデスマッチレスラーが、危険さとドラマ性の両立を意識する背景には、テリー・ファンクから受け継いだ美学があります。

現役WWE・AEWレスラーからの証言

WWEやAEWの現役レスラーからも、テリー・ファンクへのリスペクトは世代を超えて語られています。とくにミック・フォーリー、トミー・ドリーマー、ババ・レイ・ダッドリーらハードコア勢だけでなく、セス・ロリンズやジョン・モクスリーなどメインストリームのスターも強い影響を公言しています。

WWEでは、セス・ロリンズがSNSで「リング内外のすべてが教科書だった」と投稿し、ケビン・オーエンズも「テリーがいなければ自分のスタイルは存在しない」とコメントしました。AEWではジョン・モクスリーがインタビューで、流血と感情表現のバランスを学んだ“師匠”としてテリー・ファンクの名前を何度も挙げています。

またヤング・バックスやエディ・キングストンのように、ECW経由でファンクを見て育った世代は、プロモでの語り口や試合運びにファンクのDNAを色濃く反映させています。テリー・ファンクは「昔のレジェンド」ではなく、現在のWWE・AEWの試合構成やバンプ、マイクワークに直接つながる“生きた教科書”として継承されていると言えます。

訃報後の追悼の声 世界と日本マット界の反応

2023年8月にテリー・ファンクが79歳で逝去したというニュースは、アメリカと日本のマット界、そして世界中のファンに一斉に伝播し、大きな追悼の輪を生みました。WWEやAEWなどのメジャー団体だけでなく、インディー団体、レジェンド、現役レスラー、さらにはハードコアとは縁遠い選手からもコメントが寄せられた点が、テリー・ファンクの影響力の広さを象徴しています。

アメリカでは、NWA王者時代を知るベテラン勢が“プロレスラーズ・レスラー”としての功績を語る一方、ECW世代はデスマッチとハードコアのパイオニアとして称賛しました。「年齢に関係なく命を懸ける姿勢」と「若手への優しさ」を同時に挙げる声が非常に多く見られます

日本では、全日本プロレス黄金期をリアルタイムで体験したファンの追悼ツイートがX上で大量に投稿され、「テリーファンク」「ザ・ファンクス」が一時トレンド入りしました。レジェンドから若手まで、多くの日本人レスラーが「初めて覚えた洋楽が“スピンドル・トップ”だった」「会場で肩を抱いてくれた」など、個人的な思い出を具体的に語っている点も特徴的です。

まとめると、テリー・ファンクの訃報は、国や世代を超えて“自分にとってのテリー像”を語り合うきっかけとなり、世界規模での追悼ムーブメントを生み出したと言えます。

WWE・AEW・インディー団体の追悼メッセージ

テリー・ファンクの訃報に際し、WWE・AEW・主要インディー団体は一斉に追悼コメントを発表しました。各団体のメッセージから、テリーが「団体の枠を超えたレジェンド」として認識されていたことが分かります。

団体 主なメッセージ内容のポイント
WWE 殿堂入りレジェンドとしての功績を強調し、「何世代にも影響を与えたパイオニア」として追悼。トリビュービデオや番組内テロップも実施。
AEW トニー・カーン代表が個人アカウントで「偉大な友人であり教師」と投稿し、番組内でも追悼グラフィックを掲出。ハードコアスタイルへの貢献に言及。
インディー団体(GCW/MLW/Impactなど) デスマッチ・ハードコアの源流としてのリスペクトを表明し、「テリーがいなければ今のUSインディーは存在しない」とまで評する団体も見られました。

特にECW直系の流れをくむ団体やデスマッチ色の強いプロモーションでは、テリーを「精神的支柱」「ロッカールームリーダーの原型」として語るメッセージが多く、若手育成や裏方としての貢献にもフォーカスしていました。

日本のレスラー・ファンが語る思い出

日本マット界では、テリー・ファンクは“外人レスラー”の枠を超えた存在として語られています。特に全日本プロレス黄金期を支えたレスラーたちからは、「試合前後まで含めたプロレスの作り方を教えてくれた」といった証言が多く聞かれます。川田利明や小橋建太は、テリーとのタッグや対戦を通じて、間合いの取り方や観客を巻き込む間の重要性を学んだと述懐しています。

ファンの記憶に残るのは、馬場体制の全日本で見せた“日本の団体への献身”です。真夏の後楽園や地方大会でも、怪我を押してフルスロットルでファイトする姿に、地方ファンは心をつかまれました。試合後に入場ゲート付近で長時間サインや写真に応じたエピソードも数多く残っており、日本のファンは「テキサスの荒馬」であると同時に、「誰よりも日本を愛してくれたレジェンド」としてテリー・ファンクを語り継いでいます。

インタビュー・書籍・特集誌で深掘りする方法

テリー・ファンクの魅力をさらに深く知るには、本人の言葉が残されたインタビューと、日本・海外の専門誌や書籍を組み合わせて読んでいくことが近道になります。まずは日本語で読める追悼特集号やロングインタビュー掲載号でキャリア全体の流れをつかみ、そのあとに英語のロングインタビューやDVD/配信特典映像などで補完していく流れがおすすめです。

深掘りのステップ例は以下の通りです。

  1. 日本の週刊誌・専門誌の追悼特集や来日時インタビューで「日本でどう受け止められていたか」を把握する
  2. 英語のインタビュー集やポッドキャストで、テキサス時代・NWA王者時代・ECW期の心境を確認する
  3. 読んだ内容をもとに、該当時期の試合映像を見返して「発言とリング上のリンク」を意識する

この流れを意識すると、単なる“伝説のデスマッチファイター”ではなく、時代ごとにスタイルと哲学を更新していったレスラー像が立体的に見えてきます。

日本で読めるテリー・ファンク関連書籍

テリー・ファンクについて日本語で深く知ろうとした場合、最初の入り口として有効なのが書籍とムック本です。現在入手しやすい(増刷状況は要確認)主な関連書籍・特集はおおよそ次のようなラインナップになります。

種別 タイトル・内容概要 ポイント
自伝・ロングインタビュー系 『テリー・ファンク自伝』(旧版/電子や古書で流通している場合あり) キャリア全体をファンク自身の視点からたどれる定番。英語版原書とセットで読むと理解が深まります。
専門誌特集号 『Gスピリッツ』テリー・ファンク追悼特集号 アマリロ時代、NWA王者時代、日本マットでの足跡を歴史的背景とともに整理。史料価値が高く、中上級ファン向け。
国内回顧本・人物ガイド プロレス雑誌系の人物列伝ムック(テリー&ドリー兄弟や外国人レスラー特集) 全日本での名勝負や日本での人気の理由を、写真とともに振り返りたい人向け。
追悼・総括本 追悼増刊・別冊(各社から刊行された“テリー・ファンク追悼”名義の書籍・ムック) 訃報後の証言や最新インタビュー、レスラーのコメントをまとめてキャリアを俯瞰できます。

「まず全体像を知りたい場合は、追悼特集号や人物ガイド系ムック」「細かい裏話や心情まで知りたい場合は自伝・ロングインタビュー」という選び方がおすすめです。

最新の在庫状況は、Amazon・楽天ブックス・版元サイトに加え、プロレス専門ショップ(チャンピオン、ブルファイトなど)の通販ページを併せて確認すると、絶版・品薄本も見つかりやすくなります。

追悼特集号や専門誌で押さえたい記事

テリー・ファンク関連の日本語メディアを深掘りするなら、追悼特集号や専門誌は必ずチェックしたい情報源です。単なる経歴紹介ではなく、関係者証言や当時の写真、細かな来日年表などがまとまっているため、映像とあわせて読むことで理解が一気に進みます。

代表的なものとしては、週刊プロレスや週刊ゴング系媒体の追悼特集、さらに昭和〜インディー史を掘り下げる専門誌『Gスピリッツ』のテリー・ファンク大特集号が挙げられます。これらでは、アマリロ時代の証言、日本マットでの裏話、FMW・ECW絡みの詳細な検証記事など、ネット検索では拾いきれない情報が網羅されています。

テリー・ファンクを“流れ”で押さえたい場合は、まず一般誌系の追悼号で全体像を掴み、そのあとで『Gスピリッツ』など専門誌のロングインタビューや資料記事に進むと、歴史と人物像が立体的に見えてきます。WWE・AEWファンにとっても、現代のハードコア路線やレジェンド扱いのルーツを理解する近道になります。

英語インタビュー・映像資料のチェック先

テリー・ファンクの肉声や英語での発言を追う場合、まず押さえたいのがWWE Network(日本からはWWE公式・U-NEXT内コンテンツ)Peacock(米国内)です。ホール・オブ・フェーム関連映像やドキュメンタリー、クラシックマッチ集で本人インタビューが多数確認できます。

YouTubeでは、WWE公式、AEW公式、NWA、MLW、ECW関連チャンネルにレジェンド回顧企画や過去映像がアーカイブされています。特にWWE公式YouTubeの「WWE Classics」「Legends」系プレイリストは要チェックです。

より濃い話を聞きたい場合は、「Steve Austin Show」「Jim Ross / Grilling JR」「Talk Is Jericho」など英語ポッドキャストにテリー本人や関係者が出演した回を検索すると、長尺インタビューが見つかります。検索ワードは “Terry Funk interview / podcast / shoot” が有効です。

ECW・インディー期の回顧や未公開トークを探すなら、Highspots Wrestling Network や RF Video の“shoot interview”シリーズも候補になります。いずれも英語のみですが、英語字幕の有無や再生速度調整を活用すると理解しやすくなります。

これからテリー・ファンクを見る初心者向けガイド

テリー・ファンクをほぼ知らない状態から入りたい場合は、「時代」と「スタイル」をざっくり掴んでから試合映像に触れると理解しやすくなります。まず、全日本プロレスのファンクス黄金期(70〜80年代)、FMW・ECWのデスマッチ期(90年代)、WWE登場を中心としたレジェンド期(90年代後半〜)という3フェーズを意識すると整理しやすくなります。

初心者にとって最初のハードルは「映像が古い」「流血が多い」点です。そのため、いきなり流血戦から入るより、全日本プロレスのタッグマッチや、WWEでのコミカル寄りの試合など、見やすいカードから入ると抵抗感が少なくなります。ある程度「ファンクの動き」「ファンとの距離感」に慣れてきた段階で、FMWやECW時代の過激な試合を追いかける流れがおすすめです。

また、現在のWWE・AEWファンの場合は、「ミック・フォーリーの師匠」「ジョン・モクスリーやエディ・キングストンが敬愛するレジェンド」といったつながりを意識して視聴すると、テリー・ファンクの影響力が具体的に見えてきます。

時系列で追うかベストバウトから入るか

テリー・ファンクを知る入口は、大きく分けて「時系列で追う方法」と「ベストバウトから入る方法」があります。どちらが正解というより、自分のプロレス視聴スタイルに合わせて選ぶのがおすすめです。

見始め方 向いているファン像 メリット デメリット
時系列で追う 歴史・文脈が好きなファン キャリアの変化や日米マットの流れが理解しやすい 試合数が多く、挫折しやすい
ベストバウトから入る サクッと“凄さ”を体感したいファン 代表作から入れるので面白さがすぐ分かる 時代背景や積み重ねが分かりにくい

初心者には、まずベストバウト数試合でテリー・ファンクの魅力を掴み、その後に「年代ごとの名試合」を時系列で追う“ハイブリッド型”が最も理解しやすいパターンです。

・短時間でテリー・ファンク像を掴みたい → ベストバウト優先
・歴史やストーリーラインも楽しみたい → 時系列優先

自分の興味の強い方から入り、物足りなくなったタイミングで反対側の見方も取り入れると、伝説の全体像が自然に見えてきます。

WWE・AEWファンに刺さる見方のポイント

WWE・AEWファンにとって注目したいポイントは、「テリー・ファンクがいなければ今のアメリカンプロレスは成り立たない」という視点を持つことです。単なる“レジェンド”ではなく、現在のスタイルや演出に直結する源流として見ると理解が深まります。

特に意識したいのは次の点です。

  • ストーリーテリングの源流:ショーン・マイケルズやミック・フォーリー、ジョン・モクスリーらが重視する「感情むき出しの試合運び」は、テリーの売り・受け・表情の影響が色濃く出ています。
  • ハードコアスタイルのルーツ:ECW経由でWWEに入ったハードコア表現の多くは、テリーのアイデアや覚悟がベースにあります。デスマッチでも単なる流血ではなく、“ドラマを作るための痛み”として見ると違いが分かります。
  • ベテランの使い方の先駆例:40代以降もメイン戦線で機能し続けた姿は、クリス・ジェリコやダスティン・ローデスのようなベテラン起用のテンプレートになっています。

WWEネットワークやAEWのハードコア寄りの試合を見る際に、「この場面はテリー・ファンク的か?」と意識しながら比較する見方をすると、細かいムーブや間の取り方の共通点に気づきやすくなります。

テリー・ファンクを知ると今の海外プロレスが変わる

テリー・ファンクのキャリアを追うと、現在の海外プロレスが「どこから来て、どこへ向かっているか」が見えやすくなります。WWEのスポーツエンタメ的な見せ方、AEWやGCWに代表されるハードコア/インディー文化、そして日本インディーのデスマッチ路線の多くは、テリー・ファンク以後の文脈の上に成立しているからです。

たとえば高齢になってからもバンプをいとわない姿勢は、ミック・フォーリーやジョン・モクスリー、エディ・キングストンらのハードコアな生き様と重なります。カリスマ性とリアルな怒りをミックスしたマイクワークは、CMパンクやエディ・キングストン型の「喋りで魅せるレスラー」の源流のひとつと捉えることができます。

さらに、NWA王者としてのオールドスクールなテクニックと、ECWでの場外乱闘・凶器戦を両立させた器用さは、ブライアン・ダニエルソンのような“レスリングの職人”と、モクスリーのような“血と感情で見せるスター”のどちらの系譜も理解する手掛かりになります。テリー・ファンクを一人の軸として歴史をさかのぼることで、現代の試合やストーリーを「過去との対話」として楽しめるようになり、海外プロレス観戦の解像度が一段上がると言えるでしょう。

テリー・ファンクは、NWA世界王者から全日本、ECW、FMWに至るまで、時代と団体をまたいでプロレス史を動かした存在だといえます。本特集では、その経歴、日本とアメリカでの名勝負、デスマッチ革命や後進への影響、さらに映像・書籍での深掘り方法まで整理しました。この記事を入口に、実際の試合やインタビューに触れることで、「テキサスの荒馬」がなぜ今のWWE・AEWにも語り継がれるのかを、自分の目で確かめていただきたいです。